【スーパーカブで行く!】仙台・石巻の旅 1日目 東京~仙台
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2021/5/1/Saturday
ここからほんのちょこっと長い旅に出るわけである、驚くことにこの時点ではまだ目的地は決まっていなかったのだ。
決まってないにしろ旅の原点はここ日本橋がいいと思った次第である
決めてないとは言いつつタイトルにもある通り行き先は仙台である。
上の写真を見てどこか丁度いい距離と感じ仙台が良いと思ったからである。
そういえば小学生の頃初めて1人で行った旅先も仙台だったからどこか感慨深い。
そんな事を思いながら6時半に北に向けて出発したのであった…
その矢先のことである、ガソリンが少ない事を示すライトが点灯したのである。
まだ3、4kmほどの神田でのことだった。
“俺すら朝食を摂っていないのにお前は速いぞ!”
そう一喝したくなったが、道中ストライキを起こされては困る。
もしカブが喋るならこれから酷使されるのだから当然の権利だろう、と言うだろう。
反論の余地がないのでガソスタを探すことにした。
幸先が悪い。
そして埼玉県に入った。
ガソリンはまだ補給してない、なぜなら走り出すとライトが消えるのだ。
そんな怠慢なオーナーに嫌気がさしたのか千住付近で常時点灯するようになった。
もう一触即発だ。
オーナーへの最後の警告だろう、
“本当にやるぞって。”
私も折れてしまい遂に県境からすぐのガソスタで補給した。
たった300円のために紙を硬貨に替えて財布を嵩張らせるのはいつも納得がいかないが数千円を使うのが普通なのだからしょうがないだろう。
茨城県に入った。
埼玉県内では通学中の学生をよく見かけた。
あぁ、もう8時か... 何故か焦りに似た感情がこみ上げていた、早朝に出発したという優越感が化けたのだ。6時半と言ったがそれは日本橋の話である、私の家が日本橋付近かといったら全く違う、もっと早くもう一つの出発地を出てるのだ。だからそんな感情が湧いたのだと思う。
そんな焦燥とは裏腹に晴れほど気持ちの良いものは無いと呑気な事を思っていた。
この感情が旅においては正しいのだと思う。
“そんなことに気づける僕ちゃんエライ!(^^)”
拍手を送りたいところだが頬が熱くなってきたのでやめよう。
短い区間を終え栃木県に入った。
ここら辺ほど郊外のバイパス感があるとこは無いだろうと思う。
こんなにも広い道なのだから当然流れも速い、原付では貧弱すぎる、分かってたことだが身をもって実感した。
日本橋から3時間が経過した9時半、
オーナーもようやく朝食を摂った。
朝からラーメン?
誰もがそう思うだろう、ただ空腹時の私にはそんな事頭の片隅にも無かった。とにかく安価で腹を満たせるものと探した結果がコレだ。
客観的、いや、主観的に見てもバカだと思う。
無論、食後気持ち悪くなったのは言うまでも無い。
道は宇都宮を過ぎると落ち着き始める。
さっきの片側3車線はどこへやら
7、80km近く標識上に君臨してた那須塩原市に入った。
ここまで来るといよいよ遠出しているという実感が湧いてくるのであった。
更に進み栃木県最北部の那須町に入った。
ここまで来れば東北はすぐそこである。
長らく日光街道と称してた道は陸羽街道と名前を変えている。
このよう次第に変わってくるさまざまな景色に旅情が昂るのであった。
標識に書かれた地名はいよいよ全て福島のものになった。
信号待ち振り返ると東京は200km弱離れようとしていた。
どこか寂しさを感じる、旅先ではいつもそうだ。
福島県に入った。
時刻は12時を回った、宇都宮の手前で食事を摂ったのが9時半頃だから2時間ほど掛かったのだ、計算したら案外普通だったが栃木県のデカさに驚きを感じたのであった。
地方が関東から東北に変わりいよいよである。
県境標識というのは萌える、実に素晴らしい...
福島に入るとすぐに白河市に入る。
この町でガソリンを補給した。
セルフだと思ったら違くて恥ずかしかった、おそらく自分が去った後笑い話になってたろう。
だって店員3人が目の前にいるのに自分は選択ボタンを探しているのである、実に滑稽だ。
郡山市に入ると標識上に仙台という文字が現れる。
案外近いのだなと思った。
先の焦燥は何処へやら...
晴れは良いとさっき言ったがやはりそうだと思う。
“あの雲の方仙台じゃないよね?”
喉までそんな言葉がこみ上げたが吐き出す相手もいないので自分で呑みこんで味わった。
いや、仙台である。
飛んで福島市の中心部。
国道13号との分岐点である。
かすかに見える秋田という文字に興奮を抑えられなかった、じゃあ左折レーンに行けと言われたら丁重にお断りするだろう。なぜなら私の体はプラス300km走るように設計されていない。
多分遺伝子にあと300km走れるようにしてくれといっても断られるだろう。
盛岡という文字を見てまた興奮した。行き先の仙台なんてそっちのけだった。
福島最北端の町である。
国見町...
私はポツリと一言呟いた。
“いい名前だ...”
おそらく適当に言ったのだと思う、疲れてたからね。
遂に宮城県に入った。
宮城に入っても誰かがおめでとう!と駆け寄ってくれる訳でもない。この喜びをどうすれば良いか迷った...
カブくんを交えて撮った
ちなみにサムネの写真がこれである。
付近の横には東北本線がある、おそらく電車内の人でも宮城に入ったと分かるだろう。
2年前に見てた。
同じ事言ってる。
我ながらよく来たと思う。
秋田に行くのは今から東京へ行くのとイコールらしい、改めて嫌である。
山を下り大河原に入った。
ここまで来るといよいよ大都会仙台の郊外の感じが出てくる、それもそう。実際にそうなのだから。
なんとなく見てみたかった、
特に欲しいものも無かった。まぁ、こんなとこで買われても持って帰るのがしんどいだけである。
3食摂ったから今日はもうやらんぞ。
腹を空かせた私は心でそう唱えなえた。あと前のヤツ、ちゃんとガソリン最後まで注いでくれ、怒っちゃうぞ。
けつ痛い...肩痛い...ホテル...
多分当時の私に声を掛けてもそうとしか答えないだろう。相当疲れてたと思う。
そして仙台市に着いた。
涙が出そうだった、肩もケツも痛いから当z...
違う、原付で仙台まで来た事に感動しているのだ...
カブくんとパシャり
このあと7kmほど先の仙台中心部のホテルに行くのだが強い雨に襲われた。
最後の最後にだ、
雨に濡れたくないがために焦ったが信号待ちにビショビショになった自分を見て諦めた。
いや、感情を失ったと言った方がいいだろう。ホテル分の距離しか体力も気力も残っていなかったのだ。
天候はそんな断崖絶壁に立つ私に対しドロップキックをお見舞いしたのだ。
抵抗する術もなく落ちてく私を天候はどう見てただろうか?
私は空を眺めた、その眼差しは怒りでも憐れみの目でもなかった。
無心だった、無心すぎて心地良さすら感じたかもしれない。
もちろんホテルに着いた後やる事をやってすぐに寝た。
写真がないのが疲れていたのを物語っている。
着いた後に関しては疲れがやや取れた2日目に書いた方がいいだろうと思い次回の冒頭に書くことにする。